サキタマのカタチ

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見沼代用水について調べてみた。(前編)

日本三大農業用水の一つと言われる見沼代用水。
GW最後のツーリングにちょっと調べに行きました。


※僕は専門家でも何でもないです。ただ自転車を漕いで地域を自分なりに調べているだけでございますので間違っている個所もあると思いますがご容赦くださいね。

見沼とは・・・・
縄文時代、大宮台地の東南側からは低地。現在の足立区の方まで入り江でした。
弥生時代に海面が下がり沼として残った感じだと思いますけどあってますかね?
多分大枠大丈夫です。
ですから、ここも掘ると貝が出てくるようですよ。

もっと掘り下げてみようと・・・
さいたま市立浦和博物館「鳳翔閣」に行ってきました。

明治天皇の北陸・東海地方の行在所のために造られ、実際に宿泊されています。


この浦和レッズの上の建物が「鳳翔閣」です。


蛇足はさておき、博物館で見沼のことを色々調べてみました。


江戸時代初期
徳川家康の命を受け

幕府の関東郡代 伊奈忠治が利根川、荒川の流れを変えて
水害を防ぐと共に・・・・
関東平野の開発の一環として新田開発してたようです。
見沼地域では、見沼を貯水地(溜井)にして田畑の水源にしたようですね。

伊奈忠治 川口の「キュ・ポラ」に銅像があるらしいです。
調べてみるとなかなか大変な方なようですね。またの機会に調べてみます。


江戸時代中期
ここに徳川吉宗が関わってくるんですね。
「享保の改革」の一環として更に新田開発がおこなわれたみたいなんですよ。
幕府の財政が悪化したので、新田開発をして年貢(米)を農民から
取りましょうみたいな政策だと思います。

福耳な、徳川8代将軍 徳川吉宗。


見沼で作った米(年貢)を東京に運ぶため運河が必要でした。
そのために造ったのが見沼通船堀。
空が怪しくなってきましたが行ってみましょう。

ポツポツきてしまった。木下で雨宿り。

近々後編を・・・