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中仙道をゆく 蕨宿

日本橋から2番目の宿場町、蕨宿に到着です。埼玉県で一番はじめの宿場町でもあります。そもそも、蕨が宿場町だったと言うのは埼玉県民の方でも余り聞いたことがないのではないでしょうか?
JR駅から中仙道まで少し距離があるため、鉄道が引かれてからは寂しくなってしまったのだと思います。

中仙道(国道17号)に中仙道蕨宿の石碑があります。その先に・・・

ありました!蕨宿の入り口です。
今だに、活気のある板橋宿と比べて柔らかい雰囲気。

民族資料館別館です。なるほど、宿場感ありますね。中に入ってみましょう。

綺麗なお庭だな〜。ここは織り物買継商を営んでいた商家の跡地だそうです。
明治大正期にかけて、蕨およびその付近、浦和・大宮・川口・鳩谷・与野・上尾・入間・行田などは埼玉県南綿織物生産地帯として全国的にも有名でした。
またこの地帯は、機織り女工の方達の哀史の多さでも有名だったそうです。
行田のゼリーフライにも通じる話ですよね。
なるほど埼玉県南綿織物生産地帯がボヤッと見えてきた気がします。

こちらが蕨本陣です。
この辺りのクライマックスエピソードと言えば2つ・・・
①1861年14代将軍徳川家茂の正室となる皇女和宮の休憩。
降嫁の際に中仙道を使い江戸城に入られました。
東海道の海難を心配し中仙道へ。
中山道は女性が多く使うことから「姫街道」とも呼ばれていました。


②1868年 明治天皇 大宮氷川神社御親拝 時の休憩。
 この1868年に、大宮氷川神社に御親拝されているって言うの所が
 興味深いですね。武蔵国の鎮守ですからね。
 明治元年です。まだ戊辰戦争中ですよね。


①も②も幕末、王政復古、廃藩置県 に関係していてとても興味深いです。 

ちょっと寄り道が過ぎましたね。歴史から抜け出せなくなりそうでした。
民族資料館で面白い写真がありましたのでご紹介。

蕨駅前 左に見えるのが初代クラウンですので・・・1950年代後半から1960年代前半と思われます。

現在の蕨駅。

昔は、アメリカシロヒトリがよく異常発生しましたよね。

蕨銀座。

鰻屋 今井の写真。このスクーター何だろうな?三菱か富士重か?
気になります。

現在の写真。

こんな東京オリンピックの切手とか・・・

懐かしい印刷物も展示してありました。
さてさて、和楽備神社へ参拝に。

和楽備って言うのがやわらくていいですね。

北条氏綱に破壊されたお城もあったとか。今は市役所と裏の公園に。

江戸時代はじめには、徳川家の鷹狩り用休憩地として使われていたそうです。
三学院については、
詳しく書いているURLを見つけましたので割愛。

いつのも場所も自転車で行けば景色が変わりますね。
次は浦和宿に行ってみます。